1991-12-04 第122回国会 衆議院 運輸委員会 第2号
たしか昭和四十一年、二十五年前は中村寅太大臣ではなかったかと思いますが、そのときから歴代幾人の運輸大臣が誕生しましたでしょうか、その中にあって、村岡前大臣が御苦労され、そして今歴代の大臣の中で初めて奥田大臣が直接農民と対話をなさった。これ以上のことをお聞きしません。ぜひひとつ頑張っていただきたいと思っているところであります。
たしか昭和四十一年、二十五年前は中村寅太大臣ではなかったかと思いますが、そのときから歴代幾人の運輸大臣が誕生しましたでしょうか、その中にあって、村岡前大臣が御苦労され、そして今歴代の大臣の中で初めて奥田大臣が直接農民と対話をなさった。これ以上のことをお聞きしません。ぜひひとつ頑張っていただきたいと思っているところであります。
そこで私は、これは少し古いもので恐縮でありますけれども、昭和四十六年に、当時国家公安委員長がたしか中村寅太さんだと思いました。そのときにも警察官の汚職事件が続発いたしまして、この委員会で論議をやりました。そのときに、やはりいまと同じように、下級職員の苦情とか不満とかそういうものを吸い上げるような措置を何とかとりたいという当時答弁がありました。
私、実はちょうどいまから八年前の昭和四十七年の三月十日に当委員会において当時の国家公安委員長でございました中村寅太さんと水田大蔵大臣に御出席をいただいて実はこの関税定率法の問題について論議をいたしました。
関係大臣は、運輸大臣中村寅太、防衛庁長官松野頼三、北海道開発庁長官福田篤泰。その次に、この整備計画が公にされたのは航空法第三十八条に基づく告示で、昭和四十八年十月三十日であります。
いまの成田の問題の悲劇は何だったのかというと、かつて、いま亡くなりましたけれども、運輸大臣の一人に中村寅太という人がおったそうでありますが、この人が川島さんにやられて泣きべそかいたということをテレビでやっておりました。
何としましても長い間のことでございますし、先ほど川島正次郎、中村寅太両氏の例をお挙げになりました。どちらも友人でございますが、これはどっちがどっちとも言えぬと思うんでございますけれども、後でいろんなことがいい意味で話題に出るのはいいが、後でまずいということで例に挙げられるようなことであってはいかぬと思います。
これが議事録を見ると載っているわけでありますが、その次に昭和四十一年に中村寅太さんが運輸大臣のときにやはりこれがかなり具体的に提案をされております。 昭和四十一年の六月の議事録を見ますと、岡三郎議員から質問がありまして、佐藤総理大臣並びに友納千葉県知事とが会って、三里塚の牧場を中心としたところの敷地を推進したいという話を聞いておるんだが、大臣の方から説明をしてほしいと、こういう要望がありました。
永年在職議員として表彰された元議員中村寅太君は、去る二月十四日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において去る十一日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
塚原 俊平君 川田 正則君 甘利 正君 川合 武君 同日 辞任 補欠選任 川田 正則君 塚原 俊平君 川合 武君 甘利 正君 ————————————— 本日の会議に付した案件 内閣委員会及び社会労働委員会の委員派遣承認 申請に関する件 議員川崎秀二君逝去につき追悼演説の件 永年在職議員として表彰された元議員中村寅太
○細田委員長 次に、元議員中村寅太君逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、永年在職議員として表彰された元議員中村寅太君が、去る二月十四日逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。
補欠選任 野坂 浩賢君 渡辺 三郎君 同日 辞任 補欠選任 渡辺 三郎君 野坂 浩賢君 十一月四日 辞任 補欠選任 村上 弘君 諫山 博君 ――――――――――――― 十月二十六日 外麦輸入の削減に関する請願(石野久男君紹 介)(第八七七号) 同(田口一男君紹介)(第八七八号) 同外十件(中村寅太君紹介
社会労働委員会 調査室長 河村 次郎君 ――――――――――――― 委員の異動 十月二十日 辞任 補欠選任 越智 伊平君 栗原 祐幸君 加藤 紘一君 木部 佳昭君 瓦 力君 竹下 登君 菅波 茂君 田中 榮一君 田中 覚君 海部 俊樹君 高橋 千寿君 中村 寅太
当時の運輸大臣の中村寅太氏に至っては、国は国鉄というものを自分の子供のように考えるのはいいけれども、ろくすっぽ飯も食わせないでしりっぺたをたたいて酷使してきた、ということまで言っておる。こういうように国がら出資できるように努力するという言葉にもかかわらず、第三次長期計画の期間中、これは昭和四十年から四十三年のこの期間中に一体政府は国鉄にどれだけの出資をしたか。
光雄君 上村千一郎君 大野 明君 野呂 恭一君 古屋 亨君 武藤 嘉文君 細谷 治嘉君 渡辺 惣蔵君 鬼木 勝利君 松尾 信人君 ――――――――――――― 委員の異動 十一月二日 辞任 補欠選任 加藤 紘一君 野呂 恭一君 佐々木秀世君 大野 明君 中村 寅太
補欠選任 米原 昶君 金子 満広君 同日 辞任 補欠選任 金子 満広君 米原 昶君 同月二十九日 辞任 補欠選任 小川 平二君 谷垣 專一君 栗原 祐幸君 保岡 興治君 島村 一郎君 森 美秀君 田中 榮一君 塩谷 一夫君 竹下 登君 三原 朝雄君 中村 寅太
昭和五十一年十月二十七日(水曜日) 午後一時六分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 篠田 弘作君 理事 菅波 茂君 理事 多田 光雄君 小沢 一郎君 大野 明君 木部 佳昭君 中村 寅太君 野呂 恭一君 塚田 庄平君 細谷 治嘉君 渡辺 惣蔵君 大橋 敏雄君 鬼木 勝利君
商工委員会調査 室長 藤沼 六郎君 ――――――――――――― 委員の異動 十月二十日 辞任 補欠選任 海部 俊樹君 塩崎 潤君 木部 佳昭君 志賀 節君 栗原 祐幸君 森 美秀君 島村 一郎君 奧田 敬和君 田中 榮一君 塩谷 一夫君 竹下 登君 宮崎 茂一君 中村 寅太
労働省職業安定 局雇用保険課長 北村 孝生君 参 考 人 (社会保険診療 報酬支払基金理 事長) 今村 譲君 社会労働委員会 調査室長 河村 次郎君 ————————————— 委員の異動 十月十五日 辞任 補欠選任 伊東 正義君 中村 寅太
庁石油部流通課 長 宇田川治宣君 商工委員会調査 室長 藤沼 六郎君 ――――――――――――― 委員の異動 十月十五日 辞任 補欠選任 小川 平二君 戸井田三郎君 越智 通雄君 山崎 拓君 栗原 祐幸君 塩谷 一夫君 竹下 登君 藤井 勝志君 中村 寅太
制第一課長 矢澤富太郎君 文教委員会調査 室長 大中臣信令君 ――――――――――――― 委員の異動 十月十二日 辞任 補欠選任 上田 茂行君 田中 榮一君 同日 辞任 補欠選任 田中 榮一君 上田 茂行君 同月十三日 辞任 補欠選任 上田 茂行君 中村 寅太
船課長 間野 忠君 労働省職業安定 局雇用保険課長 北村 孝生君 労働省職業訓練 局管理課長 中野 光秋君 商工委員会調査 室長 藤沼 六郎君 ————————————— 委員の異動 十月十三日 辞任 補欠選任 島村 一郎君 片岡 清一君 中村 寅太
正吾君 加藤 清二君 勝澤 芳雄君 上坂 昇君 渡辺 三郎君 野間 友一君 米原 昶君 松尾 信人君 玉置 一徳君 エネルギー・鉱物資源問題小委員長 綿貫 民輔君 流通問題小委員 粕谷 茂君 栗原 祐幸君 田中 榮一君 竹下 登君 中村 寅太